【今回の強化表現:悪びれる】
「おどおどしたり、恥ずかしがったりする」「未練がましくふるまう」という意味です。では用例を見てみましょう。
「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、憫笑(びんしょう)した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
(走れメロス 太宰治)
此所のやうに自給自足すら覚束ないやうな痩地の所へは買出しの人さへやつて来ず、従つて農人はおのづから勤勉であると同時に悪びれもせず、人間本来の性情を素直に保つてゐる。
(開墾 高村光太郎)
中国征伐の時、秀吉と如水の一存で浮田と和平停戦した。之が信長の気に入らぬ。信長は浮田を亡して、領地を部将に与へるつもりでゐたのである。二人は危く首の飛ぶところであつたが、猿面冠者(さるめんかじゃ)は悪びれぬ。シャア/\と再三やらかして平気なものだ。
(二流の人 坂口安吾)
その夜も、いつものように、二ツばかりの猿股を持つて谷村さんが洗面所へ行きますと、サアサアと水を出して何か洗つている先客がありました。谷村さんは悪びれもしないで、洗面所へはいつて行きますと、驚いた事に、あんなに思いつめていたあの美しい女のひとが、じたじたと冷水で眼を洗つているところでありました。
(清修館挿話 林芙美子)
小女は浅草清島町という所の細民(さいみん)の娘なり。形は小さなれど年は十五にて怜悧(れいり)なり。かの事ありしのち、この家へ小間使(こまづかい)というものに来りしとなり。貧苦心配の間に成長したれど悪びれたる所なく、内気なれど情心あり。
(良夜 饗庭篁村)
たった一人、ウイスキーに酔った一人の青年が、言葉の響を娘にこすりつけるようにして、南洋特産と噂(うわさ)のある媚薬(びやく)の話をしかけた。すると娘は、悪びれず聞き取っていて、それから例の濃い睫毛(まつげ)を俯目(ふしめ)にして云った。
「ほんとにそういう物質的のもので、精神的のものが牽制(けんせい)できるものならば、私の関り合いにも一人飲ませたい人間があるんでございますわ」
(河明り 岡本かの子)
次郎は、案外悪びれずに、翌日の口頭試験や体格検査をうけた。しかし、ほかの受験者たちが、ちょいちょい昨日の算術の試験について話しあっているのを、耳にはさんだりしているうちに、自分の駄目なことが、いよいよはっきりして来た。
(次郎物語 下村湖人)
「悪びれる様子もなく」などと、あとに打ち消しの語をともなうのがふつうですね。これを、「悪いと思っている様子もなく、罪悪感もなさそうに」というような意味で間違って使っているのをよく耳にします。「悪怯れる」とも書きますが、「怯」は「気おくれがする、おびえる」という意味です。