【今回の強化表現:おぼろげ】
「はっきりしないさま、ぼんやり」「通りいっぺん、いい加減」「並々でない、通りいっぺんでない」という意味です。では用例を見てみましょう。
私たちには、自身の行くべき最善の場所、行きたく思う美しい場所、自身を伸ばして行くべき場所、おぼろげながら判っている。
(女生徒 太宰治)
傘さゝでもあるべき雨、堤の樹ヽの梢に音さするまでならぬ風、おぼろげなる星の光、人顔定かならぬ明るさなど、なか/\にめでたき払曉(あけがた)のおもむきを味はひて、歌もがななんど思ひつゝ例の長き堤を辿る。
(鼠頭魚釣り 幸田露伴)
実を云うと彼女はこの夫人をあまり好いていなかった。向うでもこっちを嫌(きら)っているように思えた。しかも最初先方から自分を嫌い始めたために、この不愉快な現象が二人の間に起ったのだという朧気(おぼろげ)な理由さえあった。
(明暗 夏目漱石)
善とは何かといふことは今の私にも少ししか解つてゐない。私は倫理学の如き方法でこの問に答へ得るとは信じない。善悪の相は、私たちの心に内在する朧げなる善悪の感じを便りに、様々の運命に試みられつつ、人生の体験の中に自己を深めて行く道すがら、少しづつ理解せられるのである。
(善くならうとする祈り 倉田百三)
予は過去の幼穉(えうち)なる朧げなる経験をば一切虚也、誤也、又は無意義なりとするものにあらず。予は過去一切の経験を貴ぶ。
(予が見神の実験 綱島梁川)
そして今小女に聞いた大石の日常の生活を思った。国から態々(わざわざ)逢(あ)いに出て来た大石という男を、純一は頭の中で、朧気(おぼろげ)でない想像図にえがいているが、今聞いた話はこの図の輪廓(りんかく)を少しも傷(きずつ)けはしない。
(青年 森鴎外)
ある時はいささかの間違いより、流るるごとき長州弁に英国仕込みの論理法もて滔々(とうとう)と言いまくられ、おのれのみかは亡(な)き母の上までもおぼろげならずあてこすられて、さすがにくやしくかんだ唇(くちびる)開かんとしては縁側にちらりと父の影見ゆるに口をつぐみ、
(不如帰 小説 徳冨蘆花)
この殿堂への一つの細道、その扉を開くべき一つの鍵(かぎ)の、おぼろげな、しかも拙な言葉で表現された暗示としてのみ、この一編の正当な存在の意義を認容される事ができれば著者としてむしろ望外の幸いである。
(比較言語学における統計的研究法の可能性について 寺田寅彦)
かく近づいた跫音(あしおと)は、件(くだん)の紫の傘を小楯(こだて)に、土手へかけて悠然(ゆうぜん)と朧(おぼろげ)に投げた、艶(えん)にして凄(すご)い緋(ひ)の袴(はかま)に、小波(さざなみ)寄する微(かすか)な響きさえ与えなかったにもかかわらず、
(春昼後刻 泉鏡花)
フランス製品は、あるか無しかの、おぼろげなさを特長としてゐる。それほど迄に、リフアインされてゐるのだ。その表情の線を掴まうとしても、掴めないほどの柔かさを具へてゐるのだ。さはらうとすれば、逃げてゆくやうに思はれる頼りなさのところに評価しても評価しきれない貴重さが存する。
(「香水の表情」に就いて ――漫談的無駄話―― 大手拓次)
漢字では「朧げ」と書きます。「おぼろげならず」で「並々でない、通りいっぺんでない」の意味になりますが、「おぼろげ」だけでもこの意味に使われることもあるようです。