【今回の強化表現:楚楚(そそ)】
「清らかで美しいさま(若い女性についていうことが多い)」「さっぱりとしたさま」「あざやかなさま」という意味です。では用例を見てみましょう。
打水(うちみず)をした庭の縁を二人三人の足音がして、白地の筒袖(つつっぽ)の浴衣(ゆかた)を着た菊五郎が書生流に歩いて来ると、そのあとに楚々(そそ)とした夏姿の二人。
(一世お鯉 長谷川時雨)
トンボには銀ヤンマのような堂々たる者もあり、トオスミトンボのような楚々(そそ)たる者もあり、アカトンボのようなしゃれた者もあって、一寸彫刻に面白そうに思えるが、これがやはり駄目。彫刻的契機に乏しい。
(蝉の美と造型 高村光太郎)
髪は勿論銀杏返(いちょうがえ)し、なりは薄青い縞(しま)のセルに、何か更紗(さらさ)の帯だったかと思う、とにかく花柳小説(かりゅうしょうせつ)の挿絵(さしえ)のような、楚々(そそ)たる女が立っているんだ。
(一夕話 芥川龍之介)
この娘にしても、純粋な本来の支那を持っているわけではない。どこの娘もがそうであるようにすっかり洋化されている髪形である。といって日本の娘の上に考えられる洋化とも違う。そこにはやはり昔からの支那風にこなされ渾然としたものを醸(かも)し出しているのであろう。楚々(そそ)とした感じは一点の難もないまでによく調和したものになっている。
(中支遊記 上村松園)
紅葉(こうえふ)の句未(いまだ)古人霊妙の機を会せざるは、独りその談林調(だんりんてう)たるが故のみにもあらざるべし。この人の文を見るも楚々(そそ)たる落墨直(ただち)に松を成すの妙はあらず。
(骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文― 芥川龍之介)
風のようにお次の間のふすまがあいたかと思うと、見るからにういういしい高桃割れに結って、年のころならやっと十五、六くらいの楚々(そそ)とした小女が、いま咲いた山ゆりででもあるかのように、つつましくもそこへ三つ指をついていたものでしたから、
(右門捕物帖 血染めの手形 佐々木味津三)
興津川は鮎ばかりの流れではない。中流小島村付近から上流には清い流れの底を佳麗な山女魚が楚々(そそ)として泳いでいる。
(雪代山女魚 佐藤垢石)
名を知らぬものまで、白く咲いて楚々(そそ)とした花には騒ぐ。
(燈明之巻 泉鏡花)
用例は見つかりませんでしたが、広辞苑には「いばらの茂るさま」という意味も載っていました。「楚」は「いばら」を表す字だそうです。